こんな時こそ、「元気、出そう!」

2011.3.30

元気今のご時世は、地震や原発トラブルで、とかく気が滅入りがち。それは人間の自然な姿で、ある面仕方のないこと。圧倒的な自然の力に打ちのめされたのだから。

そうはいっても、気が滅入ると「人は消極的発想に傾きがちになる」。でも、悲しいことに生きている限り「お腹も減るし、トイレにも行きたくなるのです」。これが、肉体を持つ命の悲しさであり、反面「生きて行かねばならない生き物の宿命」。後ろ髪を引かれる思いを持ちつつも、前に進むしかないのです。そんな時こそ「力だ、勇気だ、信念だ」と叫んで(両手を握って肩の前に構えて、「力だ」で前に一杯伸ばし、「勇気だ」で肩の前に引き戻し、「信念だ」で上に突き出す。これに言葉を付けて3回繰り返す)、自分自身を鼓舞激励しようじゃないですか。大勢でやれば尚元気が出ます。

こんな時こそ、「元気を出さなきゃ」、気持ちを鼓舞激励しなきゃ、運命に飲み込まれて打ち負かされてしまうだけ。だから3回。「力だ、勇気だ、信念だ」「力だ、勇気だ、信念だ」「力だ、勇気だ、信念だ」。終わればみんなで拍手をしよう。

実は、上に紹介した「力だ、勇気だ、信念だ」の三唱は、中村天風さんが奨励した元気の出し方なのです。やってみれば解りますが、なかなか効果のあるものなんですよ。

私の二人目の師匠は、著書で出会った「中村天風」という哲人なのです。彼は、大正から昭和にかけて日本中でかなり知られた人物だったのですが、近年は知る人が少なくなっているようです。でも、有名さの度合いは別にして、彼の説いた哲学は、とてもパワフルで且つ実用的なものです。どうすると良いのかの具体的対処法が示されています。この元気の出し方もそうです。彼の哲学は、「天風哲学」と言われ現在もなお愛好の人々に学び続けられています。私もその学徒の一人なのです。

私が天風哲学を学んで非常に勉強になったことの一つに、「お前は、この世に何をするために生まれてきたのか」という問の答を知れたことです。実際のこの問答の場面は、はるか昔、ヒマラヤの高峰の麓のヨガの里で展開されました。それは、結核で死の淵にあった中村三郎青年(35才)に、当地のヨガの大聖者カリアッパ師の出した「公案」に答えるシーンなのです。師は、先の問を三郎青年に与えます。そして、三郎は「これまで真剣に考えたことのない公案に答えるため、何日も瞑想して考え続けるわけです。そして、考え付いた答を申し上げに行くのです」。答を持ってきました。「それは、宇宙の進化向上を促進する人間として生まれて来たのだと思います」と。間違った答をすれば、ひどく殴られるだけなので、距離を取って答えたのでした。そうするとカリアッパ師は、“それで正解だ。よく考えられたな”と軽く褒めてそれだけで終了します。

やり取りはそれで終わるのですが、自分自身でその答をじっくりと吟味してみると「えっ、そうなのか?」。オレは「宇宙の進化向上を促進するために生まれてきたのか?」。ウソっ。へえーっ。と感心するやら、腑に落ちないやら。そんなこと考えたことなかったなぁ、と嘆息してしまうのがオチでした。

皆さんは、どうでしょうか。若かりし時の天風(三郎:当時)も、そんなことを考えたことがなかったし、私も考えたことがなかったです。今さらながらですが、ここで真剣に考えてみてください。「何のために生まれてきたのか?」と

何かの悩みで絶望的になって死にたくなるような時などに、なんとなく頭に浮かぶ問いだけれど、多くの人は、その答を真面目に考えたことはないのではないですか。

そして、真面目に考えてみれば、「天風さんの答は、なるほどもっともだなぁ」と思わせられるのです。そして、しんみり「なるほどなぁ」と感じ出すと「アナタは、ワンランクアップ出来るのですよ」。地球上に生を受けた意味を知る人の仲間に入れるのですから。

この一文を読んで下さっているアナタ。アナタはこの世に何をするために生まれ、今日を生きて居られますか。

「……うーむ…」。今すぐ答が出なくてもいいですよ。大多数の人は、真剣に考えたことのない命題なんですから。答えられなくて「人並み」ですから、堂々としていて下さい。

そのかわり、「今日寝るまで、“宇宙の進化向上を促進する人間として生まれてきたのか!ホントかな?”と疑いつつ考え続けてみてください。本当に考え続ければ、今日中か1週間以内の近い内に「その答が、ズシンと重く頭の一部を占領することになるのです」。そして、考えれば考えるほど、「その答え」は重みを増し、自分の思想が徐々に変化して行くのを感じるようになるのです。

ある程度の時間の後、「この真理に頭脳だけでなく、感情的にも納得出来てくると、ちょっとずつながら確実に自分自身の人生の位置付けが変わって来ることを体験されることでしょう。

地震があり、津波に襲われ、原発事故まで起きて、日本中の人々が「しばらくながら、これからの人生をはかなんだことでしょう」。でも、生まれてきた意味を自らに問えば問うほどに、そこはかとした気分が湧き出て、いつまでもメソメソしていられない気持ちになってくるから不思議じゃないですか。

中村天風は、決まり文句をたくさん持っている人でした。「何かあるのが人生だ」もその一つです。誰でもが、「平穏無事」を祈りますが、そうはいっても実際は、「何かあるのが人生なのです」。いつ何時番狂わせが襲うか解らないのです。事実、ふいにマグニチュード9.0の地震が襲い、僅か30分ほどの間に、日本中の人間の気分は「大転換してしまいました」。なんと無常なことでしょう。短時間の内に、事が有りすぎたくらいです。津波は見る見るうちに、家を船を自動車を大勢の人を飲み込み押し潰していったのでした。
天は、阪神淡路大震災だけで満足せず、東日本にさらなる致命的被害を課したのです。おお、何と言うことを!

戦後65年間、ほぼ平穏無事だったのが、奇跡的なんです。そして「平和ボケ」でやって来たのでした。みんなで渡れば恐くない。国民の総体が、「人生を真剣に生きて来ていなかったのではないでしょうか」。もう四十年も前から高度成長で、日本人は浮かれ過ぎてきたのです。そしてバブルに踊り、挙げ句の果てにバブルが弾けて、不況が約二十年。今度は「生き方が解らない、間違った人達」が次々と出て来ました。その人達は、なぜだか「見知らぬ人を殺しました」。これまでの日本人の範疇では考えられないような人達が、数では多くないものの次々と出て来て、「世の中が面白くないのでと言って、殺人事件を起こし「自己顕示」の中で表の人生を閉じる人」が相次いだのでした。ここに「日本人の変質」の極致を見る思いが致します。そして彼らは、地上に生を受けた意味など考えたことがないのです。このタイミングでの大地震です。阪神淡路大震災だけでは、目が覚めなかったのですね。

それでも、21世紀のこれから後、日本が世界平和に先導的な働きをして貢献しなければならない役目を負っていると見るのは、私だけでしょうか。いいえ、そうではありません。日本の「心あるかなり多数の人達」は、この後の世界に「如何にして平和を築くか」を本気になって考え始めているのです。それは正に「世界の中の日本の役割」なのです。「先進国中、唯一の“性善説”がまだ細々と生きている国、日本」は、八百万の神を戴き“宗教的寛容性”を持ち合わせている国でもあります。一神教の国では、他の神への寛容性はありません。他の宗教は、即敵なのです。まさに「剣か、コーランか」の選択であり、勝つか負けるかで決するしかない過酷な宗教文化の世界なのです。そのような宗教を包み込んで世界平和を築くためには、それらの国々が「妥協しつつ、争わないで生活して行かねばならないのです」。その困難な橋渡しの役目を地球上の誰がするのでしょうか。……

このような国際的任務を負っていると思われる日本が、現在、ナゼ故に、このような激しい「天からのお叱り」を受けねばならなかったのでしょうか。

天は、叱っておられるのです。「昨今の日本は、本来の日本の進み方でないぞ。昔の日本の良さを取り戻し、さらにその良さを一層高めるように国中で努力しないとダメだぞ」と。

私達、日本人は、今しばし、立ち止まって、「来し方、行く末を」考えてみなければなりません」。そうしないと、“この国難を、どう受け止め、どう対すべきか”の判断を誤る恐れが強いように思われます。例えば、津波の水が引いて、海水面が元に戻ったからといって「元在った家の場所に再び同じ様な家を建ててはいけないように思います」。将来、再び津波に襲われても、農地は水を被るにしても、家も人の命も奪われないような町作りをしないとイケマセン。それこそが、「日本人の生き方が“進化向上する姿”なのではないでしょうか」

未曾有の災害で「多数の命が失われました」。そして、生き残った我々は、「この地球に“生を受けた理由”を深く考えつつ、より人間性を高め、生き甲斐のある人生を追求したいものです」。

それらの諸条件を勘案して、尚かつ、運命に翻弄されながらも「自分の人生、自分で決める」という原点を見つめて生きていきたいものです。

日下教育研究所 所長 日下 和信

投稿日 2011.3.30

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