所長挨拶

日下和信日下教育研究所のホームページを見に来ていただきましてありがとうございます。 私は所長の日下和信(クサカ カズノブ)と申します。前職は、大阪キリスト教短期大学で教師をしておりました。専門は「授業研究」という分野で、“どう教えると解り易いか”ということを30年に渡って研究して参りました。学生時代の専門は「物理学」で、それ故、考え方のベースには、物理的なものがあります。そして日下教育研究所の看板を掲げて23年ですが、私の現在の心境は「教師が天職だった」なぁという思いです。 高校の頃から教師に成りたいと思っていたからだと思いますが、心理学等の人間を研究する領域にもそれなりに興味があり、現在では幸せな人生を送る指針としての「中村天風の哲学」に大いなる興味を持っております。現在、私が情熱を注いでいますこととしましては、定年後少し変わりまして。3つばかりのテーマで動いております。 ①は、思いも掛けない原発事故に遭遇し、学んできた物理学とりわけ原子物理学から、原発に絡む科学・技術の基本的知識のHP上での提供。 ②は、天風哲学の真髄を究め、その教えを広く広めたいこと、今では、スピリチュアルな研究が進み「魂レベル」での人生の見直しと、それに基づく現代的生き方はどういうものになるのか。 ③は、「憶える勉強」から脱却して“考える勉強”に軸足を移すことです。 大学全入時代にも関わらず、小・中・高校と「受験勉強を本当の勉強だと誤解させるような教育」が横行してきています。誠に残念なことです。現在のセンター試験も、発想を改めるか廃止する決断さえ必要な時代情況だと思っています。

専門の「授業研究」に関して

私は、「教師の勝負する場所」は、“授業”であると学生時代から確信していました。そういうことが影響してであろうと思いますが、短大に勤めた頃から、すんなりと「授業研究」を自分の専門にするようになりました。初めの頃は、「意味論」に絡めて、思考が厳密化していくプロセスを追ったりしました。意味論は、それはそれで大変興味のある研究領域でしたが、いつとはなしに“もっと広く授業全般を捉え、その過程での授業の発展・成功・失敗の因果関係”に興味を持ちました。毎年似たような授業をしながらも、たくさん躓き、つまずきの原因を分析し、次回は躓かないで通れるように一人で考え考え、日々の授業に挑戦するのが日課になり、楽しみにも成りました。しかし、“授業は難しいものだ”と今も思います。 私の授業研究では、自分で体験し、納得したことしか発表しないという研究姿勢できました。そして自信を持って人に勧められる研究上の業績を言えば、「授業4段階説」(現在は、「5段階授業パターンの表」(1)として発展した)と「授業の苦情改善法」(2)の二つの効用を確認し、提唱して来たことです。 前者に関しては、授業の目的から考えて、「目的別に違った授業のやり方ができるようになりましょう」という呼びかけを含み、学習者に如何に有効な授業をして行くかを研究した結果のものです。5パターンの授業は、それぞれ“①伝える授業②教え込む授業③考えさせる授業④自ずから考える授業(拡張分⑤諭す授業)”と名付けたものから成り、ワンパターンの授業では達成しがたい学習内容を、それぞれの目的に沿って5つの授業パターンを使い分けることによって実現しようと考えたものです。 後者は、これこそ、本当に長年の授業改善の研究の結果、“学習者によく解ってこその、良い授業”(この意味で、授業が下手でも「最終的に学習者が理解できれば、よい授業だ」ということです)という原点を踏まえて、「学習者から出て来る苦情が出なくなったら、授業が良くなったことになること」を論じたものです。そして「授業の苦情改善法」を実行することが、一番手軽で、個人でも続けてやれて、合理的な授業改善の方法であることを提唱したものです。「苦情」は、“満足していないという意思表示で”、「苦情が無いこと」が即ち「満足したこと」という論理は、論理学的にも正当で、実際面では、「満足しましたか?と問う調査法よりは妥当なもの」なのです。(注:ビジネスでやられる顧客満足調査と同じ理屈で、満足度を問い・答えるのは難しい)。だから、毎時間の授業終了時、授業改善に利用するのだから苦情を書くように勧めて、授業での解りにくかったこと等の感想を書いて貰うのです。そして、それを読んで、授業改善に生かしていくのです。この時、記述式でするのが重要です。質問項目を設定して、印を付けてもらう方法は、授業者(調査)側の先入観が働き、学習者が一番顕著に感じた苦情を抽出できない欠点があり、お勧めできません。 教育という分野の研究は、余程の着想でない限り「先に実践した人がおられる」ように感じます。そういう意味では、完全オリジナルという研究成果はなかなか出しがたいと考えております。ただ、この2つの研究成果に関しては、“本気になって取り組んで貰えたら、授業の力量アップに必ず貢献できる提案”であると思っています。 教師の力量は、実践の場で「学習者に最適の学習環境が提供できて」、そしてその結果良い学習になった時に評価される性格のものです。いくら理屈を知っていても、実践場面で「授業技術」を使いこなせないならば「知らないのと同じ」なわけで、有能な教師とは呼べないのです。(実際の授業を見て、授業の力量を簡単に数値化する試みの研究を既に論文にしています) 注) (1)『FD研究:学習場面と授業パターンの整合性』、京都大学高等教育研究開発推進センター発表論文集、72〜73頁。平成17年3月 (2)『大学の授業と授業改善放送教育開発センター研究報告103号』、8章の部分、109〜117頁。平成9年3月

投稿日 2013.10.2

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