原子力発電 と 放射性物質 について

はじめに
私は、物理学を学んだ一人として、また奇しき縁があり、一般人より多少原子力に、興味関心を寄せてきました。それで、大阪の地より、福島原発の推移を固唾を飲んで見守っています。何とか、この辺りの被害で収束して欲しいものです。

阪神淡路大震災の時は、「村山首相」、今度は「菅首相」。よりにもよって大災害が起きるときに「わけの解らんダメ首相」が総理で、迅速・的確に対処できなくて被害を「うんと大きくしてしまった」感じがします。やりきれない思いです。また「行って何の役にも立てないのに、事故直後の原発を見に行く」。そして、その後は国民向けに会見を一度すれど、あとは「隠れるばかりで何を考えているのやら」。即刻辞任して代わって欲しいところだが、首相の交代は手続きが要って厄介なため「代わって貰うこともできない」。おおー、国民の「この踏んだり蹴ったり」付いてないこと。天皇は、キッチリと国民に忍耐と励ましのお言葉をテレビを通じて発せられた。これのみが救いか。

◎福島原発で「どんなことが起きてしまったのか」

切っ掛けはマグニチュード9.0という東北太平洋大地震であれども、福島原発が震度7の激しい揺れに襲われ、さらに大津波に襲われ、原子炉の正常な停止措置が実行出来なくなり、本来なら空気中に出してはならない放射性物質の大量放出となってしまったのです。原子炉はガソリンエンジンのようにスイッチを切れば、それまででスンナリ止まってくれる代物ではないのです。大量の熱を発生させている原子核反応は、緊急停止させ得たとしても「燃え残りにも似た」比較的大量の熱が引き続き出て来るのです。そのため、原子炉の正常な停止措置においては、発電用に熱を取り出している出口とは別に、緊急に炉心を冷やすための設備が必ず設けられているのです。その装置が地震直後には動いたようですが、津波に襲われて「炉心冷却が出来なくなり」、炉心の空焚きに至ってしまったのでした(対応のミスが幾つも想像されるが、それはもう少し事態が収まってから議論されるでしょう。今は省略)。その後も的確に対応できず、モタモタする内に冷却水が無くなり、燃料棒が熱で高温になり、四分の1共半分とも言われる燃料棒が崩れだして炉心の底に落ちて集まってしまったと想像できるのです。その結果、炉心は発熱で温度が上がり、炉内の圧力は設計限界に近付くまでの事態になっていきました。その後、炉内に水素が貯まり、処理に手間取っている内に爆発して、建屋の上部が吹っ飛ばされてしまったのです。この辺りは、テレビでも放映されたので映像的にはどなたもご存知のところと思われます。
この辺から、「もう正常な停止措置は施せない状態で」、“原子炉事故”が隠せない事実となってきたわけです。爆発に伴い灰色の煙が上り、異常さの程度が誰の目にも解ったことでしょう。あの煙で大量の放射性物質を空気中に、排水からは海水中に放出してしまったのです。悪いことは重なるもので、定期点検で発電を休んでいたはずの原発の建物内部に「冷やし続ける必要のある“大量の使用済み核燃料(内部に大量の放射性物質を含んでいる)”が保存されていた」のです。

◎原子力の凄さとは

原子力発電は、発電する部分そのものは「火力発電と同じ仕組みで電気を起こします」。ただ大きく違うところは、「熱源」です。火力発電では、概ね石油か石炭ですが「その熱源を原子力に求めた」というところが決定的に違います。そして、原子力で熱を発生させるという非常に高度で微妙なことを、複雑なシステムを組み合わせて実現させたのが原子炉なのです。
そこでですが、「熱源を原子力に求めた」と言葉でスンナリ済ませてしまえるほど、それは簡単なことではないのです。手始めに「原子力エネルギー」と呼ばれるものについて考えていきましょう。それは、別の呼び方では、「核エネルギー」と呼ばれ、「原爆・水爆」の膨大なエネルギーを取り出す仕組みに関わってくるのです。核エネルギーは、戦後間もなくノーベル賞を貰われた湯川秀樹先生の研究で予言された「中間子」に関わってくるのです。詳細はここでは省略しますが(後述)、そのエネルギーの要点は、「原子核の内部に存在するスゴク強烈な“核力”と呼ばれる力に依存しているものなのです。その凄さを象徴的に表現すれば、「化学エネルギーの百万倍」に当たるのです。(化学エネルギーとは、我々の身近では、原子力エネルギーを除くエネルギーの殆ど全てです。通常火薬のエネルギーも電気エネルギーも、みな化学エネルギーの仲間です)。そしてその凄さは、よく使われる例で書けば、ウラン235(核エネルギーの燃料に当たる物)の1㎏から取り出せるエネルギーと同じエネルギーを石炭から得ようとすれば、3000トンになります。30トンの貨車100両分になるというのです。ウラン1㎏は鉛1㎏よりも体積では小さいので、掌に小餅を乗せた程度の体積になります。小餅1個と貨車100両なのです。この想像を超える比率を想像して欲しいのです。その凄まじさにこそ、原子力問題の背後の複雑さ巨大さが垣間見えるのです。

◎「先ずは、火力発電の話から」

発電所の種類としては「水力・火力(石炭・石油等・ガス)・原子力・その他のエネルギーから(太陽光線・風等)」があります。我々が日常使っている「電気」は、正確にはエネルギーの形態をしていて、それを正しく言えば「電気エネルギー」と呼ぶことになります。そして、常識的には「エネルギー」は、別の姿形をした「エネルギー」から変換して、違う姿形のエネルギーにします(エネルギーの変換)。
その意味では、火力発電は「石油や石炭等が内部に持っている化学的エネルギーを空気中の酸素と化合させて燃やし、その酸化反応から変換されて出て来る熱エネルギーをさらに電気エネルギーに変換する事によって」、電気エネルギーを作り出しています。即ち、エネルギーの姿形は3回変わって電気エネルギーに成っているというわけです。
単純に言えば、火力発電は、石油等を燃やして、熱エネルギーを出させて、それを電気エネルギーに変換して、電気を作っているということです。そして、原子力発電は、石油の代わりにウラン・プルトニウム等の核燃料を「核反応させて」熱を出させて、後は火力発電とほぼ同じシステムを用いて発電しているのです。即ち、熱源を石油等から「原子力由来の熱」にしたと言うことです(詳細は後述)。

次は「水の沸騰と圧力」のことです。よく知られている知識としては、「富士山等の高地では、水は100℃よりもかなり低い温度で沸騰する」ということです。そのために山で美味しいご飯を炊くためには、「圧力鍋」が必要になります。高い山でも、鍋の中に圧力を掛けてやれば、水の沸騰温度を地上と同じに出来るか、さらに高くできる可能性があるのです。この話を聞けば、想像が付くでしょう。地上でも圧力鍋で調理をすると短時間でよく煮えますね。あれは、鍋の中の温度を上げて煮炊きの効率を上げたためです。もうお解りのように、もっと圧力を掛けると水の沸騰温度がもっと上げられるということです。
ここが大事なポイントのひとつなのですが、マスコミなどでは殆ど説明されないところです。圧力は発電に関しても、非常に大事な条件に成ってきます。それは、「熱効率」という考え方が関係して来るからです。熱効率とは、同じ燃料を使いながら、その燃料を如何に有効に使い切るかという考え方に根ざしています。その考え方から出て来る結論を簡単に示しますと、「高温の状態になるように燃料を用いた方が、熱効率が高くなる」という法則があるのです。即ち、「100℃の水蒸気で発電するよりも、150℃の水蒸気で発電する方が、同じ燃料を使っても、多くの電力を作り出すことが出来る」ということになるのです。現在では、日本の火力発電の技術では、240気圧を超えて、540℃の水蒸気で発電している位なのです。(臨界圧発電なり超臨界圧発電と呼ばれます)この時の水蒸気は、水より重い密度になります。(液体の水より重い気体が出来ているのです)。火力発電では、既に超臨界圧発電が実用化されていて、高熱効率発電で省エネが追求されているわけです。

○圧力容器の圧力を高くするのも難しい

原子力発電も仕組み上は火力発電と同じということからすれば、原子力発電においても高い圧力をかけて、高温の水蒸気で発電することのメリットは明白です。それはそうですが、原子力発電には実際上、そのような高圧下での発電が難しい事情があるのです。
ナゼなら、原子炉では緊急運転停止のような事態に対して、「核反応を無事止めたにしても、燃料棒の予熱を取り出すために“炉心冷却”を直ちに始める必要性があるためです」。実はこう書いただけではピンと来ないでしょう。それは炉心冷却の困難さを書いていないからです。単純に考えると「冷やすためには冷たい水を炉心に注ぎ込むと一件落着です」。それは正しいのですが、注ぎ込むには大変な条件に打ち克つ必要があるのです。ナゼなら、「炉心は水の沸騰温度を上げるために高圧状態に成っています」。その炉心に注水するには、「注ぎ込む水に炉心の圧力よりも“さらに高い圧力を掛けて押し出す必要が生じる”からです」。(膨らんだ風船を更に膨らませる時を考えてください)。特別な高圧ポンプがなければ、炉心に注水できないのです。大量の水を高圧にして炉心に注ぎ込むというのは、技術的にかなり高い要求になります。水蒸気を高温にしたいわ、冷却水を高圧にするのは難しいわ、「緊急炉心冷却」のためには二律背反の事情が出来てくるわけです。この事情から、原子炉の沸騰温度は、その時点での技術的なバランスを取って決められると言うことになります。初期の原子炉ほど、圧力は低いと言えます。

◎「原子核エネルギー」を人工的にコントロールするまで

ここから新しい熱源である「原子力エネルギー」のことを考えましょう。
日本では、「原子力エネルギー」という呼び名が定着していますが、「力の由来からしますと“原子核エネルギー”が本来の名称」になります。略称すると「核エネルギー」になります。それはナゼかと言えば、このエネルギーは、「原子核に由来するエネルギー」だからです。原子力と呼んだとして日本語として意味を検討しますと、「原子に由来する力」と言うことになり、これならば実質的に「化学エネルギー」を表す名称に成ってしまうでしょう。だから正しくは「核エネルギー」なのです。そう呼ばれる理由は、力の源泉が「核力」と呼ばれる奇妙で強力な力に由来しているからです。「核力」は、原子の外周に居る電子に由来する力ではなく、原子の中心部に位置する「原子核」を成立させている力の根源だからです。核力は「壊れやすく見える原子核を、何とか存在させている超強力な接着剤のような力」なのです。

「核力」の説明に入る前提として、関連する次の言葉を知ってください。「原子」「原子核」「陽子」「中性子」「電子」及び「電気的な力の作用」について、解説しましょう。
「原子」は、中学校の理科以来、言葉としては良く聞くし、化学反応の反応式や分子式などの図解で示された「水兵さん、リーベ〜」と覚えたあの周期表に書かれていた「集合体としての元素」の1個1個のものを原子と言っています。1個の大きさは最高性能の電子顕微鏡でようやく点程度に見える位の最小の物的な塊になります。直径はÅ(オングストローム=0.1nmナノ㍍)程度の大きさです。勿論、肉眼では見えません。原子は、1個1個そのぐらいの小ささで、尚かつ、化学反応で色々な原子が相互に結合し合っているのです。身近なところに存在する「物」は、全て多数の原子が集合したものです。

原子の素顔が解ったら、次は「原子1個1個に共通する構造」を考えましょう。この話もかなりたくさんの人が勉強していると思われますが、きちんと理解している人は少ないでしょう。「原子」は、中心部にプラス電気を持つ「原子核」と周囲を回っているマイナス電気を持つ「電子」で出来ています。電子は、中心部のプラス電気から受ける電気的引力で引かれながらぐるぐる回っていると考えています。このことは化学の勉強の折り、中心に○の中に+を書き(原子核の意味)、その周囲に円周を書いてその上に幾つかの○に−(電子の意味)を書いてきたでしょう。これが原子のイメージです。
このイメージをより現実化しましょう。そこで原子の実際の大きさを考えると、またまたアッとビックリしますよ。原子の実際の大きさは、電子達の軌道の外周で表して数Å(オングストローム:注上)なのですが、中心にでんと腰を下ろしている「原子核」が、原子全体の重さのほぼ全てを担いながら「その直径」は、外周の10万分の一だというのです(外周を甲子園球場250mに採ると原子核の直径は2.5㍉)。そんな大小関係だというのです。原子の実体は、広い広い外枠で囲まれていながら、中心部は並の観察力では見付けられないほど小さな原子核を持っているだけなのです。原子の大きさが、もう十分小さいのに、原子核はさらにウンと小さいというのです。そして、そのウンと小さい原子核がこれからの話の主役だから、過去の常識からすれば、ウンと非常識なわけなのです。

そのウンと小さい小さい微小片には謎が一杯です。そして従来の頭では考えられなかった驚異的なパワーを秘めているです。それが「原子核エネルギー」であり、それを力として表現すると、原子核の力即ち「核力」となるのです。
「原子核」とは、どんなものか概観を見ていきましょう。「原子核」を構成している主要な要素は、「陽子」「中性子」という原子核よりも更に小さい微粒子です。ナゼなら、それらは原子核の構成要素だというわけですから。だから、陽子や中性子は、「素粒子(物を構成する最小の粒子)」と呼ばれてきました。(現在では、陽子や中性子等の素粒子が、更に小さな6種類のクオークという粒子の3つが組み合わさって出来ているとされています)
それらの粒子が、原子核を構成しているわけです。

「陽子」について考えましょう。
陽子は、原子核を構成する大事な構成要素で、しかもプラス電気を持っています。そして、その原子核に陽子が幾つ有るかで、その原子の化学的性質が決まってしまいます。そのため、陽子の個数に応じて原子の名前(元素名)が付けられています。陽子が一つで原子核を構成している元素が「水素」で、陽子二つのものが「ヘリウム」となります。この陽子の数は、「原子番号」とも呼ばれます。だから、原子番号の数だけの陽子がその原子の原子核の中にあるということでもあります。
次に「中性子」ですが、大きさ・重さ等は殆ど陽子と同じですが、決定的に違うのが「電気的に中性」であるところです。中性子(陽子が電子一つを取り込んだ状態と考えられています)は、電気的に中性なので「電気的な力の作用を受けません」、そのため、何処にでも行けるので行動の自由度は抜群です。

この陽子と中性子の混成体が「原子核」だということです。例えば、陽子一つだけの水素、通常の水素:記号H・陽子一つと中性子一つ、デューテリウム:D・陽子一つと中性子二つ、トリチューム:T。後二つを通常の水素より重いので「重水素」と呼んでいます。水素の場合、陽子1個の中に中性子が幾つ入ろうが問題に成りませんが、問題は、陽子が2個以上に成ったときに生じます。即ち、ヘリウム以上の原子核で起きてきます。何が問題に成るのでしょう。

陽子は、それぞれプラス電気を持っています。2つのプラス電気が傍に在れば、陽子の相互にどのような作用が生じるかが問題なのです。
このような場面での作用を考える場合、「電磁相互作用」と呼ばれる作用が、陽子の相互間に働きます。それは「電気的な力の関係」になります。電気は、プラス電気とマイナス電気という二つの極性を持っています。そして、プラスとマイナスの異極同士は引き合い、プラスプラス・マイナスマイナスの同極間では、反発し合うという性質を持っています。そして、陽子はどれも+ですから、2つの陽子間に働く力は、距離の逆2乗則(二つの電気の離れている距離に関して、
距離の2乗に反比例する: F∝e・e’/r )で作用します。この場合は、+同士の電気が極々近くに存在することになり(rが原子核内の距離というウンと小さな値で、その二乗なので分母がウンとゼロに近くなり、結果的に力は膨大なものになる)、近ければ近いほどうんと大きな反発力が作用することになります。理論的な推測からは、原子核内の「陽子間には猛烈な反発力が働くはずで」、そのような強烈な反発力を受けながらも、複数個の陽子が原子核の内部にデンと存在出来ていることになるわけです。これが不思議な大問題なのです。そのような強力な反発力を受けながらも、どうして澄ました顔で陽子同士が仲良く「近くで存在出来ているのか」が、これまでの知識では、説明出来ないわけです。
これは常識的には、とても不思議な状況と言えます。しかし「事実としては、原子核の中で陽子が超近接して存在出来ている」と結論するしかありません。事実が正しいのですから。ということは、“電気的な力よりも更に強力な何らかの力が、陽子間を強力に引き付けていると考えるしか理解の方法がなくなります”。

○「核力」という怪力の仕組み

原子核の内部では、超強力な力が「陽子間を引き付けているはずなのです」。今ではこの正体(核力)が知られていますが、この強力な引力を説明することは大変な難問でした。この難問に挑んで「その力の理論的予言を行ったのが我が国初のノーベル賞に輝いた湯川秀樹博士でした」湯川先生は、陽子間を強力に引き付ける仕掛けとして「中性子が関係していると見抜き、陽子と中性子の間で何か強力に引き合う力が働いているはずだ」と考えました。そして理論計算で“陽子と中性子の間で電子質量の数100倍くらいの重さの粒子「中間子」(陽子・中性子は電子質量の約1800倍。その中間ということで中間子と呼んだ)が受け渡しされている”と考えれば、この強力な引力の説明が付くと提示したのでした(湯川秀樹の「中間子論」と呼ばれる論文)。中間子が陽子と中性子の間でキャッチボールをするように投げ合われているイメージだったので、別名「キャッチボール理論」とも呼ばれました。この予言の論文発表の後、中間子に当たる物が実験の中から実際に見つかり、理論の正しさが証明されたため、ノーベル賞が授与されたのでした。「陽子と中性子の間を強力に引き付けることで、結果的に陽子同士を強力に引き付ける仕組み」が明確にされたわけです。これで、陽子同士が原子核の内部で共存できることが説明されたのでした。この引き付ける力のことを「核力」(原子核を形成している源の力)と呼ぶわけです。湯川先生は、「核力」の働くメカニズムを解明されたということです。
「核力」の実際が解ってきたわけですが、この核力には他面で「極々短い距離でしか働かない」性質があることが解ってきました。精々、陽子と中性子を混ぜて250個位の球の直径位の範囲でしか働かないのです。それ以上距離が離れると引き付ける力が急速に弱くなり引き付ける作用をしなくなるのです。(陽子と中性子の数の合計を「質量数」と呼びます)そのため、人工的に作った原子を含めても、質量数250程度の原子核が、核を構成する限界になります。

核力がいくら強力なものだとは言え、同様に電気的な力も強力ですから、原子核内の「核力」と「電気的な力」のバランスは、微妙なものになります十分に強い核力で引き付けられている原子核は、多少の刺激があっても強く結合を保っていますが、両者の力が拮抗してきた場合、引力と斥力のバランスが、本当に微妙に成ってきます。このようなバランスが微妙な状態の原子核は、少しの刺激を受けても、原子核を正常に保てなくなることがあります。このような状態にある原子核は、不安定なわけです。この不安定さは、陽子の数と中性子の数によって起こります。ウランで言えば、質量数238の物は、安定で、質量数235の物は不安定になります。即ち、ウランは陽子の数が92個で、質量数から陽子数を引いた残りが中性子の数になるから、(235-92=143)中性子の数が143個の原子核が不安定で、3個多い146個の物は安定な核ということになります。

◎核分裂と核エネルギー

不安定状態の原子核は、原子核に何かの刺激が入ると核内の陽子と中性子の並びに変動が起き、その影響のために「核力での引き付けが電気的斥力に負ける一瞬が有り得ます」。その一瞬が生じたなら、その原子核は果たしてどうなるでしょうか。想像が付くと思われますが、その一瞬、電気的斥力が勝って、原子核は強力な力で引き離されることになり、元の原子核は、ほぼ二つに割れて、その破片等が高速で飛び出してくることになります。(強力な電気的斥力で互いにはじき飛ばされて出て来る原子核の破片は、非常な高速で飛び出し、付近の燃料棒等の原子等にぶつかり最終的には止められるわけですが、この間に運動体として持っていた「運動エネルギー」が熱エネルギーに変換されて出て来ることになります。原子炉の熱の半分くらいがこのメカニズムで生じる)この現象が「核分裂」になります。原子核がまさに分裂するのです即ち、不安定な原子核は、何かの刺激で核分裂を起こすということです。
この場合、原子核に対する刺激としては、どのようなものが考えられるかを考えてみましょう。大きな原子全体への刺激ではありません。極々小さな原子核への刺激ですから、極微粒子の衝突のようなものが想定されます。陽子か中性子か電子か中間子かといった仲間のぶつかってくる状況が有力でしょう。その内、陽子は、原子核のプラスの電気のために電気的にはね飛ばされて核内まで到達できないと思われます、また電子は核内に入り込めたとしても軽すぎて陽子に吸い取られて終わりになるのがオチのように思われます。中間子もやはり軽すぎるようです。そうすると残るは「中性子」が有力になります。
実際に中性子の攪乱が、原子核を更に不安定にするのです。中性子は電気的なバリアーに影響されません。だから進みたい方向にスイスイ進むことが出来ます。だから核内の陽子や中性子にマトモにぶつかることが出来ます。そして、ぶつかれば、重さが同じだから、内部の陽子や中性子を強くはじき飛ばすことが出来て、その刺激で不安定ながらようやく維持している原子核内の秩序を壊してしまいます。即ち、原子核内の秩序の攪乱には、「中性子の侵入」が効果的だと考えられるのです。
実際に不安定な核を刺激するには中性子が好都合だったのです。それも、非常に高速で飛んでいる中性子よりも、少し速度を落とした中性子の方が、原子核への働きかけが有効であったのです。

この辺までの知識が集まってくると「不安定な原子核に中性子を利用して、核内を攪乱してみようか」と人間は何かと考えるものです。そうすると「人工的に核分裂」を起こさせるアイデアが出て来てしまいます頭の良い人が、こういうアイデアを得てしまうと、その先がスウッと見えてしまうようなのです。(この考え方が進行するのに併行してアインシュタインの提唱した「相対性理論」が、「物質の質量とエネルギーは、等価である(E=mC)」という有名で且つとんでもない考え方が出されていました:省略)
この「核分裂反応」は、実験的に試みることが可能でした。そして、中性子の刺激でウラン235が分裂する事が、確かめられたのです。実験では、標的として置く「不安定な原子核の少量の試料に中性子を当てる」というやり方を採りますから、核分裂の現象が確認できるのは中性子を当てた時だけですが、この程度の小規模な実験で得られるエネルギーでは、残念ながら実用性はありません。原子1個の反応で巨大なエネルギーが出ていることは解っても、しょせん実験室で得られる程度のエネルギー量なのです。

身近な化学反応においても「個々の原子が時々反応している程度では、実用上のエネルギーの量に達しません」。化学反応においても、木材や石油の分子・原子が次々に燃えていって焚き火や煮炊きが出来ているのです。いくら強力な核反応だと言っても、反応を連続させることが出来なければ「実用的なエネルギー」にはなり得ないのです。
単発的な反応では実用上役に立たず、反応を連続的に起こせなくては大きなパワーを作り出せないのです。実用的なエネルギーにするためには、「反応を連続させる必要がある」のです将棋倒しのイメージで、次々と反応が引き起こされる仕組みがないと利用価値が出てこないのです。連続的に反応が起きることを「連鎖反応が起きる」と言います。
核分裂反応でも「連鎖反応」が起こせるかどうかが、実用上のエネルギーとして使えるかどうかの大きな分岐点になります。そうすると又もや幸いと言うべきか不幸と言うべきか、「不安定な原子核の核分裂を連続的に起こさせる条件が見出されてしまったのです」。もう少し大がかりな設備を作り出すと「この核分裂反応を連続させることが出来ることが解ってきます」。それはどういうことかと言えば、「初めの中性子を不安定な原子核の刺激材として使ってしまった後に、“新たな中性子”が核分裂の副産物として出て来るから」なのです。それはナゼかと言えば、「原子核は、そもそも陽子と中性子(それと中間子)という微粒子」で出来ているからです。即ち、中性子は、様々な原子核の中に一杯在るからです。だから、原子核が分裂すると「多くの場合バラバラになった中性子がさまよい出て来る」のです。具体的にウラン235では、核が一つ分裂する毎に約3個新たな中性子が飛び出してくるのです。
最初の中性子が、核分裂を誘発させると、その分裂の結果また中性子が補給されるという循環する条件が満たされてしまったので、理論的に連鎖反応を起こせることが証明されてしまったのです。
この辺の事実が解ってしまうと、残念ながら「原子核爆弾のアイデア」までは一本筋です。不安定なウラン235を主成分にした金属体(元素のウランは元々金属)を必要な分だけ集めれば、中性子の刺激とともに大爆発する核爆弾が考えられるのです。皮肉なことに、実験では中性子を発生させる装置を必要としたのですが、核爆弾ではその装置を作る必要もなかったのです。火薬を用いた通常爆弾でさえも、起爆装置は必要なのですが、核爆弾では、特別な起爆装置は必要無かったのです。中性子をわざわざ作り出して原子核にぶつける仕組みそのものが不要だったのです。それはナゼか。ウラン235からは少量とはいえ、常時中性子が飛び出していたからです。中性子を作り出すよりも大事な問題は、常に飛び出している中性子が「本当の爆発を起こさないようにすること」の方だったのです。だから、核爆弾の構造は「保管中は連鎖反応が起きないような条件に保ちつつ、合体させると連鎖反応の起きる条件に作ること」だったのです。即ち、爆発する(連鎖反応が起きる)条件になる十分な量のウラン235を“安全な距離、離しておいて”、爆発させる瞬間に一機に合体させるように作ってあるはずです。合体させれば瞬間的に1個の核が分裂し、凄まじい速さで後は3倍3倍のペースで分裂する原子核の数が増えていき、広島・長崎で炸裂した光景になるわけです。

◎核エネルギーの生活的利用法=原子炉

核分裂を3倍3倍のペースで増やしていくと出て来る熱エネルギーは大量過ぎて爆発現象になるしかありません。とても人為的なコントロールは出来ません。まさに爆弾として使うしか方法がありません。それでは生活的利用になりません。それでは核エネルギーは、どのようにすれば生活的利用が可能になるのでしょう。
その答が「原子炉」です。
原子炉は、核分裂の連鎖反応を調節して、「必要とする熱エネルギー量の分だけ」核分裂を起こさせるように調節出来るように作られましたその考え方は、「核分裂に伴って出て来る新たな中性子をどの程度、次の核分裂に利用するかをコントロールしよう」というのです。解り易く言えば、「たくさん出て来る中性子を吸い取ってしまって、必要な分だけ炉内に残すように調節する」という方法です。原子炉には、燃料棒と制御棒が規則正しく並べて設置されているわけですが、その制御棒の働きは、「多すぎる中性子を吸収して続く核分裂量を決めている」わけです。原子炉の運転・制御というのは、そういう調節をしているのです。核分裂反応は、化学反応の反応速度よりも速く、中性子の数が少し多くなると急速に核分裂が増すため、コントロールは微妙になります。だから1回の核分裂から中性子1個残ればよい条件にコントロールするのが分裂を一定にする条件で安全運転になります。理屈から言えば、原子炉の熱出力は、時々の必要な量に調節可能ですが、日本の原発では、大概「定速(発熱量一定)運転」をしていると聞いています。そのために「夜に電気が余るようで、夜間電力を安く販売しています」。

原子力発電に関する説明は、ここで終わります。

投稿日 2011.4.1

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