就職失敗で、自殺はないよ!

2013.4.4

困ったことにデータの上では、「就職できなくて自殺した人」は増えているのだそうだ。でもね、そんな短絡した行為は、止めてくださいよ。これから、「人間としての本当の人生に歩み出そうとしている場面で」、それはないよね。就職の手前で死ねば、「人間の生活」=人生がどんなものか知らずに「元いた世界(あの世)に逆戻りするようなものだ」よ。人生の何たるかを、全く考えていないんだねぇ。折角「この世での使命を決めて、この世に降りてきたのに」、訳も解らずにまたあの世に帰るの?。就職してからが、「人間としての生活の本番なんだよ」。就職するまでは“人生の予行演習”なんだよ。即ち、「他人の役に立ててこその人生」なんだよ。スネかじりの間は、アルバイトなどと称して、仕事をしてお給料を貰って、“似たようなことをしているけれど”、まあ予行演習なんだよ。ということは、社会人として就職して「初めて人間の生活=人生」が始まるんだよ。就職前に「自殺してしまえば、人間の本当の生活を経験しないまま」再び「あの世」に帰ることになってしまうんだよ。
さらに悪いことには、自殺するとスンナリあの世に帰して貰えないようなんだよ。あの世に帰るときには、あの世の入口で審問があるようなのだ。そして、自殺で帰ってきたと解ると、きちんと寿命まで働いてあの世に帰る人とは扱いが違って、すぐにあの世に帰して貰えないらしいんだよ。その理由は、「使命の未達成」のため。

こんなこと知らないのだろうね。聞いたこともないのだろうかね。今流行りのスピリチュアルの研究が進んで、こんな事情が解って来ているんだよ。だから、就職出来ないからと言って、自殺してしまうと“人間としてこれから楽しいこと、苦しいことを体験する機会そのものを自ら否定してしまう”ことになり、人間に生まれた醍醐味を経験せずに、元の木阿弥よりもまだ悪い条件の下で「あの世の周辺をうろついて、その後、あの世に入る許可が出るらしい」んだよ。

苦しくても、人間として「生」を受けたんだから、人生を歩まないとダメなんだよ。解ってくれるかな。

人間の魂は、どの魂も赤ちゃんの体にはいるときに、今生の世界で果たすべき役割(使命)を決めてこの地上に来ているので(達成できないくらいの無理な課題は課さないようになっていて、精一杯努力すれば達成できるはずの課題で今生に来ている。だから死なねばならないような課題には出会わないようになっていると言われている:加筆)、“自分の人生を冷静に眺める気持ちになれば”、短絡的に死に走れないはずなのだが、「周りの人が就職して行くのに“自分は就職が決まらない”と劣等意識なり負け犬根性なりに取り付かれてしまうんだろうね」。これは、正味「客観的に周囲が見えない状況」に自分を追い詰めるから生じる強迫観念の産物だと思われる。

何のことはない。【立ち止まって、ふと我に返れば】死なずに済むんですよ。

冷静になって考えてみましょう。人生、「格好の良いことばかりで終われませんよ」。不細工なこともしでかすし、思わぬ失敗もするものです。「良いことばかりで、人生を全うできる人」。そんな人は、居てたとしても極々例外で、我々凡人の周囲にはまず居ないのではありませんか。そんなことは、若いアナタでも「何となく理解できるのではありませんか」。だったら、自分自身の少々の失敗は、大目に見て許してあげようではありませんか。

こういう心境に成れさえすれば、“自殺する気”は、急速に失せるものです。
結局ね、「自殺してしまう人」は、“格好の良いことばかりで、これまで来た人”なんですよ。「負け組」に入ったことがない人は、精神的に脆いということを自覚しなくてはいけません。でもね、サッカーでも、ゴルフでも、野球でも、実力があってトップに輝けるのは一体どの位の時間なのでしょうかね。トップになったプロも早晩順位は下がり、引退の時が来るのです。そんなように、全人生を見回してみることが出来る人は、【ふと我に返れるはず】なんですがねぇ。

人生で「大成功をする人」は、しばしばスタート時点で厳しい環境にあった人が多いものです。ハングリー精神が、その人の成功を支えていることが多いのです。順風満帆な人生を送ってきた感じの人は、あまり大成功はしません。適当に生活していける程度の生活環境があればよいと考えてしまうからなんでしょう。でも、それでいいのではないですか。それこそよく言うじゃないですか。人それぞれなんですから。

こんな話は、冷静に聞けばアナタも概ね納得するでしょう。だったら、「完全無欠主義」を修正してはどうなんですか。特に日本はありがたい国で、【負け犬になっても手厚くセイフティーネットで守ってくれます。生活保護で食べていけますよ】。人生で負けを知らずに死を迎えられる人は、まず居ないのではないでしょうか。このような人生における大局観を持ち得ていれば、「人より少し後れを取った」というだけで自殺に短絡的に結び付くことはないと思われるんですがねぇ。

また、逆転の発想というものを考えてみましょう。「有名な大企業に入るのが良い」という世間一般の価値観を認めるならば、有名な大企業に入るために必死に努力しなければならないかも知れません。しかし、別の所でも書いたように、事実シャープやバナソニックという大企業も今や下降線を辿っているように思われます。既に、大企業も結構多く倒産しています。本当の有望企業は、今はまだ中小企業でも将来的に有望な商品を持っている企業である場合が多いのです。先見性のある中小企業は、就職先としては最高の企業ということができるのです。世間一般の価値観で言えば、中小企業は就職するに相応しくない企業ということになるのですが、現実に実際は、中小企業こそ“就職するのに最高の企業”なのです。スピード競争では、時間の短い方がトップですが、自転車の遅乗り競争等というものならば、ビリの人が「実はトップ」なのですから、見方・考え方を転換すれば、違った姿・映像が映し出されます。ビリの人が「実はトップ」になっているということは、長いタイムスパンで考えると珍しいことではないのです。私も、最初の就職は、28才だったのですよ、同学年のビリだったのです。遅れに遅れても、60年の人生で考えれば、普通に暮らしているじゃないですか。

世間一般の価値観に縛られることなく、自分の持ち味を生かすべく逆転の発想で考えるくらいの余裕を持って就職戦線に臨めば、何も恐くはありませんよ。その代わり、自分の発想を大事にして、「他人と違う考え方・発想を考え出さねばなりませんよ」。自分の持ち味は、よくよく考え、精一杯努力して、努力の暁に「自分の独自の持ち味というものが、自覚できてくるものと思われるからです」。就職試験は、学力というよりは、自分の持ち味を会社側が評価してくれて、「ご縁が出来て」決まるのです。そう書いてきたでしょう。

決して「死に急いでは成りませぬ」。就職出来なくて悩んで自殺するのは、勝ち癖のある人が、何をはかなんだか急に逆転の発想で、負け犬になって「果てる」ことでしかありません。人生は色々苦労しますが、その苦労をやり過ごして、乗り越えていくところに面白い醍醐味があるのですから、「苦労をやり過ごす手前で」、ジ、エンドを決め込んでは成りませぬ。

若者であっても、それなりの「人生の大局観」は、立ち止まって考えれば解るでしょう。以上の文章を参考にして、早まらないでくださいね。

投稿日 2013.4.4

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