高速道路の無料化は、知恵のない民主党のバラマキ

2009.8.7

衆議院選挙で民主党が政策の目玉として「高速道路の無料化」をぶち上げている。大局的に見れば、「建設費の償還はもう済んでいるから」という理由付けも解らないではないが、「週末日曜祝日千円化」だけでも、経済原則から言えば「ちょっと無茶」である。道路会社に別途税金から減額分の保証として支払われるという話も聞こえるが、現在の不透明な政治システムの中では、当然有り得る密約の結果として実現しているのではないか。そうとなれば、「高速料金が安くなって得をしている」とは思っていられなくなってくる。結局、高い高速料金を支払わされているのかも知れない。何ともスツキリしない話だ。

千円の裏のカラクリはこの辺りで置くとして、民主党の高速料金無料化の選挙公約は、今の時点ではいただけない。財源不足を言いつつも、只の「人気取りのバラマキ政策」でしかないからだ。さらに現実問題として、タダになって「無料の道を走っていた車の多く」か高速道路に入ってきたら、通行量がパンクして渋滞が増え、本来のインフラストラクチャーとしての機能がマヒしないとも限らない。コストが掛かるために一般道と高速道の棲み分けが出来ているのだ。棲み分けていて良いのではないか。本当に償還が済んでいるのなら、合理的な根拠の基で、道路会社の制度改革をするなり、料金を下げるなりすればよい。ただ、何も無料にすることはない。無料化すれば、ETC等の投資がムダになるし、再度有料化することは、事実上不可能では無かろうか。それなりの経済合理性で、仕方なく払っている高速道路料金を別に活用する知恵を出すのが賢い政治では無かろうか。国家財政は膨大な赤字なのだから。

お金のバラマキは、民主党だけではない。自民党も公明党も、選挙になれば金を撒けばよいと考えるようだ。何とも国民を程度低く見ているものだ。そのことに関して、「無料」に持つ印象を考えておきたい。2〜30年前までは、無料に関して、“タダほど高いものはない”という諺がしばしば言われ、且つ、真実味を持っていた。事実その頃まで、「タダでしてくれることには、多少とも警戒したものである」。ところがその後、東南アジアの人達が、日本人を「エコノミック・アニマル」と蔑んで呼ぶようになった辺りから、日本人にも「お金のエサ」が有効になり、「無料だよ」と言われると、そのチャンスを逃がせば損をするような感覚になれてきた。そして、浅ましくも「無料、歓迎」の世相を創り出してきた。これは、途上国でのビジネスでワイロが横行した情況と日本の所得水準の向上と買春ツアーが盛んだったこと等が、関連するのであろう。残念ながら、その頃から、壮年以降の日本人の価値観は「お金第一」に成ってきたのであろう。「お金を持っていることがステイタス」と考えるようになったのでありましょう。その後バブルでさらにお金持ちになると、コスト意識も飛び散って、「金満家」感覚になったのではないだろうか。
そうは言っても、コスト意識は、経済学的に絶対に大事な考え方になのだ。

「何をするにもコストが掛かる」。これが、経済学の大原則である。家の回りをぐるりと散歩するだけでも、厳密に考えればタダでは実行できないのである。エネルギーを使うし、服も履き物も減耗するのである。時間で働いているとすれば、散歩の時間も間違いなく人件費として支払われる。このように考えれば、本当は寝ているだけでもコストが掛かるのである。こんな当たり前のことが、国民の大多数に正確に理解されていないのが、現在の日本の情況である。即ち、「金金と思っている割には、経済学の知識には乏しい」のである。コスト削減に厳しく取り組んでいる職場にいる人以外では、国民のコスト意識は低調なままだ。学校で教えないし、公立学校では先生方にコスト意識が有るのか無いのか解らないくらいである。そんな環境で学ぶ多くの子ども達にコスト意識が育つはずもない。役所が・公務員が、「税金は我々の金だ。経済原則などクソ食らえだ」と内心思っているような文化風土があるため、国民の津々浦々にまでコスト意識が浸透しないままで推移してきたのである。

「無料化」を政策に掲げるのは、二重の意味で「非教育的」である。一つは、“タダほどありがたい”と考える風潮を助長する。もう一つは、“コスト意識を持つチャンスを潰してしまう”ことである。国や役所は、「何でもタダでしてくれたらよいのに」という感覚が常識に成ってしまったら目も当てられない。……。
そうは言っても、その感覚は既に国民の間に色濃く出来上がっている。お金にまつわることをきちんと教えないからだ。政府が国民に金をばらまくのにどうしているか。日本銀行がお金を印刷すれば済む問題ではないのである。「政府がくれる金は、政府の役人が働いて稼いでくれた金ではないのである」。「国債という借金の証文を書いて借金した金」でバラマイテいるだけで、貰った金は、結局借金で、いずれ誰かが返さねばならない金なのだ。当座の金のために、サラ金で借金しているのと、正味全く同じなのである。まさか「誰か、本当は自分が、その費用を結局は払うんだ」とは、殆ど思っていないのでは無かろうか。
ああ、「国民を愚民化する政策だ」。そのことを政治家共も国民もハッキリと意識して頂戴よ。

投稿日 2009.8.7

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