外国人労働者の前に、ニート62万人を勤労社会人に戻そう

2014.8.22

長々と書く必要はない。タイトルの主張ずばりである。
「少し景気が良くなった」と見えて、急に“労働力不足”の声が経済界を中心に高まりを見せている。そして、その合唱は、「労働力確保のために、外国人の移民を招き入れよう」というものである。ナゼこうも単純に問題を解決しようと発想するのか!
この対応においても然りで、ここ10年ほどの経済界のお粗末さを象徴しているように思える。経営者の視野が余りにも狭く且つ近視眼的になり、直接的な問題解決に逃げようとしている。役人・政治家も又然りで、日本の足元の事情を踏まえ、大局的に考えようという視点がない。何と言うことだ。

外食産業等での労働力不足は、かなり深刻なようであるが、低賃金・超長時間労働を強いて働かせた報いが来ているのであり、言わば「自業自得の面が強い」のではないか。そのことの反省があるのかどうか、「次の安い労働力は何処にあるか」と探して、今度の合唱になったのだろうが、「人を大事にする」土壌が崩壊したままの発想では、応援隊の外国人に次の迷惑が及ぶのではないか。経済界は、足元から勉強して出直すべきであろう。

日本の現状を見る視点があれば、私の訴えようとすることなど、当然の前提条件に入っていたはずなのだ。今やニートは62万人と言われている。当面必要としている労働力の2倍分の人が、色々な事情はあれども「労働力人口に数えられない存在になっている」。これは現在日本の由々しき事態なのである。この事態を知ってか知らぬか、その現実を見ないで、「当面の自分自身の企業が当面する問題を“なるべく即効的に解きたい”と思って」、海外よりの移民に頼ろうと言い出すのである。雇用の問題も、ニート対策の部署も「共に厚労省」になる。逃げずに真正面から問題解決に乗り出すべきでないのか。

移民に反対する意味でこれを書いているのではない。それを推進しようという人が居て当然である。私の願いは、ニート(35才以下の働きたくないという若者達)が日本に現在、62万人いるのである。「人」は、社会の一端で働き「社会人」としての生活が営めることで、「社会的存在としての生き甲斐の発揮」が出来るもの。社会と隔絶されたところで、生命を永らえるだけでは、「人間を生きた」と言えないのではないか。この不幸な人を救い出し、働いて貰える居場所を提供することに、経済界も政治も取り組まないといけないのではないだろうか。

ニートの問題を「労働力不足」の現状と重ね合わせて議論できることは、とてもラッキーなことである。ニートに紹介する職業があるのだから。こんなラッキーな環境を見逃すべきではない。ニートの若者に職業訓練をして、「社会の一員として参画させる」事業に取り組まねばいけない。問題解決の厄介さは、一筋縄ではないだろうが、「ニートの彼等は我々の同胞であり、うまく社会に適応してくれないと、将来、生活保護で養われる国民になってしまうかも知れない」。それではお互いに余りにも不幸であろう。

労働力不足⇒外国人移民の促進。こんな見識のない単純な理屈で考えないで欲しい。この発想では、来て貰う外国人に迷惑を掛けて、申し訳ないことになるのではないか。

投稿日 2014.8.22

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